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木のテーブルとブラックコーヒー -standard e オーナーの現場日記-

継続は

チカラなり。

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昨日は変則な営業時間でご迷惑をおかけいたしました。15:40頃にせっかく入り口の目の前まで来られたお客様、「16:00までの営業です」の貼り紙を見て諦められたのでしょうか、くるりと帰られてしまいました。多分読んでないと思いますが、このブログを読まれておりましたら、この場を借りてお詫び申し上げます。またお時間のあるときにいらして下さいね。

で、変則時間の影響で昨夜も、そして今もこうしてPCに向かっています。こうしていてふと思ったことが。
standard eではモットーの一つとして、「長く使い続けられる」ということを考えているのですが、同じ意味でしょうけど少し前から「sustainable(サスティナブル)」って言葉を耳にする、あるいは目にする事ありますよね。実はボクはこの表現、あんまり好きじゃないです。直訳すると「持続可能な」とか「継続可能な」みたいな感じになるんでしょうけど、なーんか他力本願というか、受動的というか、積極的に(あるいは自発的に)これを長く維持するんだ、っていう意識が感じられないように思うのです。なんかほっといてもダラダラあり続けることが出来る、みたいに感じるって言ったほうが感覚に近いかな?

とにかく特にモノは作り手側がそれが長い間、その物に求められる機能を維持出来るようになるべく丈夫に作るのはもちろん、長い間それを所有するに耐えうる価値、あるいは喜びみたいなものを感じられるように一生懸命考えて、一生懸命作らなきゃいけないし、使う方も使いっぱなしじゃあなくて、時々手入れしたり、悪いところがあれば手を入れたり修理をしたり、長い時間を掛けてそれを自分の体に馴染ませるような時間の経過があってこそ、はじめて「その物が、長い間大事に使われている」ってことになるんだって思うんです。それでこそ始めてきちんと「継続している」ってことになるんじゃないのかなあ。

いま耳にするsustainableは、時期がきたらぶっ壊すって事が前提になってる気がしてしょうがない。でそれがまたリサイクル出来るとか、処分するにしても環境負荷が低いとか?そういうことも大事なんでしょうけど、そいうことは既に当たり前って話で、そんなことよりももっとちゃんとしなきゃいけない所があるんだと思うのです。モノ作りをして日々の糧を得ているボクたちは、もっと大事なことを決意してモノづくりをしなきゃいけないんだって。壊すの前提でのモノづくりは、意識のレベルが低すぎだろ、って思っちゃいます。

なーんか小難しい話しになっちゃった。
by guisante | 2009-10-21 11:34 | 家具のこと